北海道の鱒と野の花
釣り師は魚にそれ以外の何かを求めて放浪する(開高健)
今年は何度か木苺の群生を見つけて食べましたが、不味いわけではないけれど子供の頃の記憶より甘くないし
ずいぶんと渋い食感だった
個体差だろうかと思い、赤や黒の熟したものを食べ漁ったけれど、やはり遠い昔の味ではなかった
「知恵の悲しみ」という言葉を思い出した

巨匠、開高さんが10年振りに訪れたロンドンでかつての忘れられない味であるフィッシュチップスを食べながら言った言葉
『ちょっとパサパサしているな、正直言って私の記憶の中にあるのより美味くないですな。記憶が美しくしてしまったんですね、私はこれを食いたくてロンドンに来たんですが、色んなものをその後食べ過ぎて、知らなくてもいいものを知ったために世の中が寂しくなる、面白くなくなる、これを智恵の悲しみと言うんですが、食べ物も大いに智恵の悲しみになります。』
開高さんはかつて教えられたホカホカのままで食べる方法、日本でいうとスポーツ新聞の可愛い娘ちゃんがにっこり微笑んでいるページに包んで食べておりましたね。ロンドンタイムズなどで包むとすぐに冷めてしまうそうであります ^^
この言葉は開高さんがスコットランドでサーモンフィッシングをする番組の中で呟いたものです
開高さんには珍しく、ダブルハンドでのフライフィッシングでしたね
残念ながらサーモンとファイトすることは叶いませんでした
このところクマさんの出没が激増しておりますね
明日は休みですが、何処が一番安全なことやら・・・迷いますね ^^;
自分の釣りに関しての「知恵の悲しみ」、ちょっぴりだけあるかな・・・
ずいぶんと渋い食感だった
個体差だろうかと思い、赤や黒の熟したものを食べ漁ったけれど、やはり遠い昔の味ではなかった
「知恵の悲しみ」という言葉を思い出した

巨匠、開高さんが10年振りに訪れたロンドンでかつての忘れられない味であるフィッシュチップスを食べながら言った言葉
『ちょっとパサパサしているな、正直言って私の記憶の中にあるのより美味くないですな。記憶が美しくしてしまったんですね、私はこれを食いたくてロンドンに来たんですが、色んなものをその後食べ過ぎて、知らなくてもいいものを知ったために世の中が寂しくなる、面白くなくなる、これを智恵の悲しみと言うんですが、食べ物も大いに智恵の悲しみになります。』
開高さんはかつて教えられたホカホカのままで食べる方法、日本でいうとスポーツ新聞の可愛い娘ちゃんがにっこり微笑んでいるページに包んで食べておりましたね。ロンドンタイムズなどで包むとすぐに冷めてしまうそうであります ^^
この言葉は開高さんがスコットランドでサーモンフィッシングをする番組の中で呟いたものです
開高さんには珍しく、ダブルハンドでのフライフィッシングでしたね
残念ながらサーモンとファイトすることは叶いませんでした
このところクマさんの出没が激増しておりますね
明日は休みですが、何処が一番安全なことやら・・・迷いますね ^^;
自分の釣りに関しての「知恵の悲しみ」、ちょっぴりだけあるかな・・・
文豪であり釣り師でもある開高さんがキングサーモンを釣り出かけるDVD、『河は眠らない』の中での言葉
川や森を背景に、誰にともなく話す開高節は、唯一無二の超一流の俳優でもあります
以下、開高さんの言葉を紹介します

森を歩いているとよくわかるんですけれども、斧が入ったことがない、人が入ったことがない森、
というのがそこらじゅうにいっぱいある。
それで土が露出していないで、シダやらなんかに覆われていますが、
草とも苔ともつかないもので森の床全部が覆われている。
それから風倒木が倒れてたおれっぱなしになっている。
これが実は無駄なように見えて実に貴重な資源なのであって、風倒木が倒れっぱなしになっていると、
そこに苔が生える、微生物が繁殖する、バクテリアが繁殖する、土を豊かにする、小虫がやってくる。
その小虫を捕まえるためにネズミやなんかがやってくる、
そのネズミを食べるためにまたワシやなんかの鳥もやってくる、
森にお湿りを与える、乾かない。そのことが河を豊かにする。 ともう全てがつながりあっている。
だからあの風倒木のことを、森を看護しているんだ、看護婦の役割をしているんだ。
というのでナースログ(nurse-log)というんですけれども、自然に無駄なものは何もない、というひとつの例なんです。
そうすると人間にとってナースログとは何でしょうか?
無駄なように見えるけれども実は大変に貴重なもの、というものも人間にはたくさんあるんじゃないか?
それぞれの人にとってのナースログとは何か?
無駄をおそれてはいけないし、無駄を軽蔑してはいけない。
何が無駄で何が無駄でないかはわからないんだ。
ここがひとつの目の付け所ですね、これは大事なことですよ。
無駄なことしてると思うことはないんであって、いつかどこかでまた別のかたちで甦っているのかもしれないんだ。

さて、ボクにとってのナースログは何だろう
あなたにとってのナースログは何でしょう・・・
川や森を背景に、誰にともなく話す開高節は、唯一無二の超一流の俳優でもあります
以下、開高さんの言葉を紹介します

森を歩いているとよくわかるんですけれども、斧が入ったことがない、人が入ったことがない森、
というのがそこらじゅうにいっぱいある。
それで土が露出していないで、シダやらなんかに覆われていますが、
草とも苔ともつかないもので森の床全部が覆われている。
それから風倒木が倒れてたおれっぱなしになっている。
これが実は無駄なように見えて実に貴重な資源なのであって、風倒木が倒れっぱなしになっていると、
そこに苔が生える、微生物が繁殖する、バクテリアが繁殖する、土を豊かにする、小虫がやってくる。
その小虫を捕まえるためにネズミやなんかがやってくる、
そのネズミを食べるためにまたワシやなんかの鳥もやってくる、
森にお湿りを与える、乾かない。そのことが河を豊かにする。 ともう全てがつながりあっている。
だからあの風倒木のことを、森を看護しているんだ、看護婦の役割をしているんだ。
というのでナースログ(nurse-log)というんですけれども、自然に無駄なものは何もない、というひとつの例なんです。
そうすると人間にとってナースログとは何でしょうか?
無駄なように見えるけれども実は大変に貴重なもの、というものも人間にはたくさんあるんじゃないか?
それぞれの人にとってのナースログとは何か?
無駄をおそれてはいけないし、無駄を軽蔑してはいけない。
何が無駄で何が無駄でないかはわからないんだ。
ここがひとつの目の付け所ですね、これは大事なことですよ。
無駄なことしてると思うことはないんであって、いつかどこかでまた別のかたちで甦っているのかもしれないんだ。

さて、ボクにとってのナースログは何だろう
あなたにとってのナースログは何でしょう・・・
12月25日 初の旭山記念公園
豊平公園に比べると広くて、なかなか鳥を見つけることができなかったけれど・・・
エゾリスが現れました

忙しそうに木の実を探してボリボリ


いいポーズをとってくれました

ようやく見つけることができたのは
シメちゃん

まあまあの新しい公園デビューでした
豊平公園に比べると広くて、なかなか鳥を見つけることができなかったけれど・・・
エゾリスが現れました

忙しそうに木の実を探してボリボリ


いいポーズをとってくれました

ようやく見つけることができたのは
シメちゃん

まあまあの新しい公園デビューでした